柔よく剛を溶かす。
わすれゆきキャスト紹介10大渕雄一朗:稗田警部補
ふっちーさん!
まず最初に言っておきたいことがあります。
ふっちーさんとは、同じ土俵で張り合おうと思ってはいけません。
「柔よく剛を制す」
という言葉がありますよね。
でも、ふっちーさんは違うんです。
制すんじゃない。
溶かすんです。
ものすごく柔らかい。
なよっとしていて。
頼りなさそうで。
ふわふわしている。
でも、その柔らかさの中に、とんでもない強さがある。
僕も稽古中、稗田警部補の代役を読むことがありました。
でも、
ふっちーさんが実際に演じる姿を見ると、
「それ、無理!」
と思うんですよね。
同じ台詞。
同じ動き。
同じ演出。
それなのに全然違う。
もし僕が、
「同じようにやって勝とう。」
と思った瞬間。
その時点で負けなんです。
土俵が違う。
勝負そのものが成立しません。
僕が初めてふっちーさんと共演したのは、たしか10年前。
『十一人の少年』だったと思います。
その後も、
『凄い金魚』
『ライムライトを浴びて』
など、何度かご一緒させていただきました。
そのたびに思うんです。
役者って、本当にいろんな種類がいるんだなぁって。
僕は途中で諦めました。
「ふっちーさんみたいな芝居は絶対に真似できない。」
って。
もちろん、
「個性ですね。」
という一言で片付けるのは簡単。
その裏には何十年という積み重ねがある。
試行錯誤もある。
失敗もある。
努力もある。
でも。
最後に残るものは、やっぱり個性なんですよね。
よく、
「個性を伸ばしましょう。」
とか。
「個性を大事にしましょう。」
なんて言います。
演出家によっては、
役者の個性を潰さないように、お手本の芝居を見せない方もいます。
それも一つの考え方でしょう。
でも僕は少し違います。
個性って、
守るものじゃない。
雑草なんですよ。
何度踏まれても生えてくる。
抜かれても生えてくる。
刈られても生えてくる。
隠そうとしても隠せない。
消そうとしても消えない。
最後まで残ってしまうもの。
それが個性なんじゃないかなと思っています。
だから、ふっちーさんを見ていると、
どんな役を演じても。
どんな作品へ出演しても。
最後には役の方が、
ふっちーさんへ近付いていく。
役者が役へ寄るんじゃない。
役が役者へ寄ってくる。
そんな不思議な感覚になるんです。
だから、まるで最初から当て書きだったみたいに見えてしまう。
これ、本当にすごいことなんですよね。
しかも。
普通なら笑いにならないようなところまで笑いになる。
だからといって、
受けだけを狙っているようにも見えない。
「この人、本当に天然なんじゃないかな。」
と思ってしまうくらい自然なんです。
でも違う。
シリアスな役もできる。
重たい役もできる。
その上で、この芝居を選んでいる。
だからすごい。
ふっちーさんと共演すると、
楽屋にいる時、舞台袖にいる時、客席のドッと笑い声が聞こえてくる。
ふっちーさんが何かやるたび、
ドッと笑いが起きる。
それを何度も経験してきました。
こーわ!
同じ方向で勝負したら、絶対に食われる。
だから僕は最初から勝負しません。
自分の土俵で戦います。
役者って、本当に面白い仕事なんですよね。
同じ台本。
同じ演出。
同じ立ち位置。
同じセリフ。
それなのに、役者が変わるだけで全く別の作品になる。
だから演劇って面白い。
そして、ふっちーさんを見ていると、
天然のように見せかけてめちゃくちゃ養殖。
かなり緻密に作りこまれた演技。
どこからどこまで計算なのか分からないほど、不自然さを自然にやってのける。
でも、その自然さって、偶然できるものじゃないと思うんですよ。
ここまで書いてきて、ようやく自分の中で言葉になりました。
折り紙なんです。
ふっちーさんって。
折り紙職人なんですよ。
折り紙って、一枚の紙から始まりますよね。
最初はただの四角い紙。
そこへ一つ折る。
また一つ折る。
さらに折る。
折るたびに折り目が増える。
角も増える。
どんどんカクカクしていく。
でも最後には、
鶴になったり。
兜になったり。
風船になったり。
僕らが見ているのは、
折り目じゃない。
完成した作品なんです。
ふっちーさんの芝居も、それにすごく似ています。
稽古では、一つ一つ折り目を付けている。
目線。
呼吸。
間。
表情。
言葉の強さ。
語尾。
姿勢。
全部に意味がある。
一つでも順番を間違えたら、その人物は完成しない。
折り紙と一緒。
でも、本番になると、その折り目が全部消えてしまう。
「この人最初からこういう人なんだ。」
そうしか見えないんです。
そこが本当にすごい。
普通、折り紙は折れば折るほど角ばります。
カクカクになります。
でも、ふっちーさんの芝居は違う。
あれだけ細かく折り重ねているはずなのに、
最後には全部が溶けてしまう。
角も。
折り目も。
努力の跡も。
全部見えなくなる。
だから自然。
だから柔らかい。
だから僕は、
「柔よく剛を制す」
ではなく、
「柔よく剛を溶かす」
という言葉が、一番しっくりくるんです。
柔らかさって、生まれつきの性格じゃない。
ものすごく細かい積み重ねをして。
何度も何度も折り直して。
最後には、その努力さえ感じさせないところまで昇華すること。
そんな役作りをされている役者さんなんですよね。
そういえば以前、イベントで一緒になったことがありました。
僕がピザ回しを披露して。
ふっちーさんが、それを邪魔しに来る役でした。
本番当日に、
「ここで僕がこうしますので、その時こうしてください。」
それくらいしか打ち合わせをしていません。
しかも僕のピザ回しって、結構アドリブで振付が変わるんです。
それなのに。
ちゃんと合わせてくださる。
僕から見たら、
「すごい。」
の一言なんです。
ところが終演後。
ふっちーさんは、
「全然合わせられなくて申し訳なかった。」
って謝るんですよ。
いやいや。
何が起こるか分からない中で。
あれだけお客さんを笑わせながら。
ちゃんと成立させてくださったじゃないですか。
そう思いました。
でも本人は納得していない。
もっとできた。
もっと良くできた。
そう思っている。
その真面目さ。
その向上心。
だからこそ、あの柔らかい芝居が生まれるんでしょうね。
さて。
そんなふっちーさんが演じる役は、
稗田警部補です。
稗田という名前も、もちろん歴史にちなんだ名前なんですよね。
「稗田阿礼(ひえだのあれ)」。
歴史の授業で一度は耳にしたことがある名前だと思います。
ものすごい記憶力を持ち、日本各地に伝わる神話や伝承を記憶し、それを語り継いだ人物。
その語った内容をもとに、後に古事記が編纂されたと言われています。
言ってしまえば、日本中の物語を頭の中に保存していた人。
そんな存在です。
だから今回の稗田警部補も、
妙に物知りなんですよ。
「その知識、今いる?」
というような話を急に始めたりする。
でも、その何気ない一言が、
ちゃんと事件の解決へ繋がっていく。
「ああ、なるほど。」
そういう役なんです。
だから脚本を書いた大介アニキも、
稗田阿礼という名前をモチーフにしたんでしょうね。


