書き順クエスト!成功体験をゲットせよ!
娘の漢字の書き順が、ずっとでたらめだったんです。
小学1年生の頃は、正直そこまで気にしていませんでした。
新しい学校生活に慣れて、
足し算引き算を覚えて、
ひらがなカタカナを書いて、
さらに漢字まで始まる。
そこに「書き順も正しく!」まで乗せたら、宿題そのものが嫌になってしまう気がして。
なので当時は、
「まあ、とりあえず書けていればいいかな」
くらいに思っていました。
でも嫁さんは、ずっと言っていたんですね。
「その書き順、違うよ」と。
すると娘は毎回、
「書き順なんかどうでもいい!
今は漢字を覚えてるんだから!」
と反論していました(笑)。
まあ、その気持ちもわかるんですよね。
読み方も覚えて、
意味も覚えて、
音読み訓読みも覚えて、
さらに形まで覚える。
子どもからしたら、
「やること多すぎ!」
という感じでしょう。
2年生になって、少し変わった
2年生になってから、少し変化がありました。
学童保育の先生や、友達にも、
「書き順が違う」
と言われるようになったんです。
やはり親に言われるのと、外で言われるのは違うのでしょうね。
本人もちょっと気にし始めている感じがありました。
ただ、宿題中にいきなり指摘すると嫌がるのはわかっていたので、タイミングを待っていました。
するとある日。
でたらめな書き順の中に、ひとつだけ完璧に書けている漢字があったんです。
なので、
「おお!これ、書き順バッチリじゃん!」
と褒めてみたら、娘の顔がぱっと明るくなって。
そのあと、ぼそっと言ったんですね。
「お母さんにも言われるし、友達にも言われたんだよね」と。
ああ、ここだなと思いました。
「直しなさい」
ではなく、
本人の中に
「どうにかしたい」
が生まれた瞬間ですね。
やはり、人は自分で必要性を感じないと動けません。
大人も同じです。
型があるから、自由になれる
そもそも、書き順って何のためにあるんでしょう。
考えてみると、
あれは「字を美しく書くための型」なんですよね。
たい焼きは、型があるから鯛の形になります。
たこ焼きも、丸いプレートがあるから丸くなる。
型なしで、
「はい、鯛の形にしてください」
と言われても、ぼくがやったらぐちゃぐちゃになります(笑)。
歌舞伎や能にも「型」があります。
見得を切る型。
泣く型。
歩く型。
型通りにやることで、美しい所作になる。
武道も同じです。
ぼくはスポーツチャンバラをやっていますが、まず最初に徹底的にやるのは「振り方」です。
正しく振れるようになるまで、何度も同じ動きを繰り返す。
すると、身体が勝手に動くようになっていく。
これは野球でもテニスでも、たぶん全部同じでしょう。
型が身体に入るから、とっさの場面でも対応できる。
逆に、型がないと応用も効かないんですね。
でも、ここで勘違いしやすいのが、
「型に入る=個性が消える」
ではない、ということです。
たい焼きも、同じ型を使っているのに、店によって全然違います。
皮の厚みも違うし、
あんこの甘さも違うし、
焼き加減も違う。
型があるからこそ、その人らしさが出てくる。
これは文章でも同じだと思っています。
基礎を学ばずに「自由に書く」は、実はかなり難しい。
まず型を覚える。
その上で崩す。
だから個性になる。
順番が逆なんですよね。
分解して、組み立てる
3年生、4年生になると、漢字はどんどん難しくなります。
でも、複雑に見える漢字も、結局はパーツの組み合わせなんですよね。
偏。
旁。
冠。
脚。
パーツごとの書き順を理解していると、
「これはこの組み合わせだから、こう書く」
と応用できるようになる。
これ、ダンスの練習とも似ています。
ぼくはダンス、本当に苦手なんですが(笑)。
いきなり全身を同時に動かそうとしても、まったくできないんです。
まず手だけ。
次に足だけ。
そのあと合わせる。
少しずつスピードを上げる。
分解して、
組み立てる。
結局、学習というのは全部これなんですよね。
英語も、
プログラミングも、
AI活用も。
難しいものほど、
「小さく分ける」
が重要になる。
だから2年生の今は、ちょうどいい時期なんだろうなと思っています。
まだ画数も少ない。
ここで基礎を作っておくと、あとがかなり楽になる。
ゲーム実況みたいにやってみた
そこから、宿題が終わったあとに、その日の漢字を1個ずつ確認するようになりました。
ただ、
「違う!」
「また間違えた!」
だけでは絶対に嫌になるので。
少しゲームっぽくしたんです。
ぼくが正しい書き順を書いて、
娘に
「どこが違うでしょう?」
と間違い探しをさせる。
合っていたら、
「テレレレッテッテー♪」
とドラクエのレベルアップ音。
「クリアーー!」
と大げさに喜ぶ。
逆に間違えたときは、
「残念〜〜〜!」
と『世界ふしぎ発見!』の不正解音を口でやりながら、
「ひとしくん人形ぼっしゅーと♪」
とか言う(笑)。
娘は、
「うるさい」
と言いながら、なんだかんだ笑っています。
でも、最近は変わってきました。
ぼくが不正解音を出しかけると、
「あ、ちょっと待って」
と、自分で気づいて直せるようになってきたんです。
これ、かなり大きい変化なんですよね。
「間違いを指摘される」
ではなく、
「自分で修正できる」
になってきたので。
成功体験は、未来の土台になる
娘は、算数がちょっと苦手です。
国語や音読は得意なんですが、計算はまだ苦戦しています。
なので宿題は、
「苦手なことに向き合う時間」
にもなりやすい。
だからこそ意識しているのが、
小さな成功体験を積ませることです。
書き順が1個合っていた。
それだけでも、ちゃんと褒める。
できて当たり前ではないんですよね。
練習した。
できた。
嬉しい。
この感覚が大事なんだと思っています。
理科や社会が増えて、
歴史も始まって、
勉強がどんどん難しくなっていく中で、
「コツコツやれば、自分はできる」
という感覚は、かなり大事な土台になる。
大人でも同じですよね。
AIもそうです。
最初は意味不明です。
英語だって、
投資だって、
プログラミングだって、
最初はみんな
「もう無理」
になります。
でも、分解して、
少しずつ理解して、
小さく成功する。
すると、
「自分でもできるかもしれない」
に変わっていく。
学びというのは、たぶんその繰り返しなんでしょうね。
娘の宿題から、ぼく自身が学んでいる
ぼく自身、
「どう伝えたら、相手に伝わるのか」
にはずっと興味があります。
Kindleを書くときも、
動画を作るときも、
コンテンツを考えるときも、
ずっと考えているのはそこです。
学校の先生は、
どう教えているのか。
子どもは、
どこでつまずくのか。
どうすると理解できるのか。
娘の宿題を見ていると、そのヒントが山ほどあるんですよね。
なので、
「宿題を見てあげている」
という感覚は、あまりありません。
むしろ、ぼく自身が学ばせてもらっている感覚に近いです。
今日も、
「レッテルちゃん没収〜♪」
とふざけながら、娘に
「うるさい!」
と怒られていました(笑)。
でも、昨日できなかった書き順が、今日は自然に書けている。
その瞬間を見ると、やっぱり嬉しいんですよね。
宿題というより、
毎日の小さな成長観察みたいな感じです。
そして同時に、
「人に伝える」
ということを、ぼく自身も毎日学び直しています。
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