この前、お茶碗を洗いながらライブをやったんですよ。
すると、参加してくださった方から、
「お茶碗を洗う音や、水の音が聞こえてくるのがすごく良かったです。」
と言っていただいたんですね。
僕としては、ガチャガチャ音が入ってしまって申し訳ないなと思っていたので、かなり意外でした。
でも、その方がおっしゃるには、
「お茶碗を洗う音がBGMみたいで落ち着く。」
とのことだったんです。
しかも、
「男の人が家事をしているのがなんだかいい。」
とも言ってくださって。
そんなふうに受け取ってもらえるんだと思ったら、ライブに対するハードルが一気に下がったんですよね。
実は以前、洗濯物をたたみながらライブをしようと思ったことがあるんです。
洗濯物をたたむのって、結構面倒じゃないですか。
だったらライブをしながらやれば楽しくなるんじゃないかと思ったんです。
でも逆でした。
ライブって、やっぱり少し緊張するんですよ。
だから、
「ライブもしないといけない。」
「洗濯物もたたまないといけない。」
と、ハードルが二重になってしまって。
結果、洗濯物をたたむ回数が減ってしまいました。
洗濯物だけがどんどん増えていくという現象が起きたんです。
そこで試しに、お茶碗を洗いながらライブをやってみたら、思いのほか好評だったんですね。
じゃあ、なんでお茶碗を洗う音って落ち着くんだろう。
そう考えてみたら、僕の中では理由が二つある気がしました。
一つ目は、その音が日常の音だからです。
お茶碗を洗うって、ほとんどの家庭で毎日ありますよね。
だから聞き慣れている音なんです。
しかも、ライブをしている僕も同じように家事をしている。
「あ、この人も自分と同じような日常を過ごしているんだ。」
そんな親近感が生まれるんじゃないかなと思ったんです。
そう思ったきっかけがありまして。
以前、とある島へ行ったことがあるんですよ。
島全体が美術館みたいになっていて、あちこちにアート作品やオブジェが展示されている場所でした。
電動自転車を借りて島を巡っていたんですが、夕方になって、ちょっと住宅街のほうにも行ってみようと思ったんです。
もちろん作品なんてありません。
普通の民家が並んでいるだけです。
でも、その時が一番心に残ったんですよね。
家の中から、お茶碗を洗う音が聞こえてきたり。
料理を作る匂いがしてきたり。
包丁でトントントンと切る音が聞こえてきたり。
そういう生活の音が聞こえてきた瞬間、
「ああ、この島にはちゃんと生活している人がいるんだ。」
と感じて、急に島全体が温かく感じたんです。
非日常の中に日常がある。
その安心感って、結構大きいんですよね。
だからライブで家事の音が聞こえるのも、同じような感覚なのかなと思いました。
もう一つは、子どもの頃の記憶です。
ライブから聞こえてくるお茶碗を洗う音って、自分が出している音じゃありません。
じゃあ、その音をいつ聞いていたのかというと、子どもの頃なんですよね。
母親だったり、お父さんだったり、おばあちゃんだったり。
誰かが台所でお茶碗を洗っている音を聞きながら過ごしていた。
その記憶が、どこかに残っているんじゃないかなと思うんです。
だから懐かしさを感じたり、安心したりするのかなと。
もちろん、みんなが同じではないと思います。
でも、誰かが生活している音って、不思議と心が落ち着くんですよね。
そう考えると、お茶碗を洗いながらライブって、案外いいスタイルなのかもしれません。
しかも、ライブって告知するのが、ちょっと照れくさいんですよ。
「○時からライブします。」
と言うと、
「みんな来てください。」
と言っているみたいで、少し気恥ずかしい。
しかも誰も来なかったら、ちょっと寂しいじゃないですか。
でも、
「今日の夕方5時頃、お茶碗を洗います。」
だったら、ただの日常です。
ライブをするかどうかは僕の自由ですし。
「あ、もしかしたらライブをするのかな。」
くらいの軽い感じで来てもらえたら、それで十分なんですよね。
それに、ライブって終わり方も難しいんです。
いつ終わればいいんだろう。
どう締めればいいんだろう。
毎回ちょっと迷うんですよ。
でも、お茶碗洗いライブなら簡単です。
お茶碗を洗い終わったら終了。
あるいは、そのまま晩ご飯の準備に入ってもいい。
そして、最近は夕方になると娘が学校から帰ってきて、お友達を連れてくるんですよ。
もう、それはそれは大騒ぎです。
家の中が一気に遊び場になります。
そうなったら、ライブどころではありません。
強制終了です。
でも、それもまた自然なんですよね。
始まりも日常。
終わりも日常。
そんなライブのほうが、僕には合っているのかもしれません。
ということで、しばらくはお茶碗を洗いながら、気軽にライブをやってみようと思います。












