バッチョ・トゥ・ザ・フューチャー
楽屋からにて「ばちょぺでぃあ」
何をそんなに夢中なの?
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何をそんなに夢中なの?

そんなに大事?でもうらやましい。

たった今見たことを、感じたままに伝えていきます。

コンビニの前を車で通ってたんですよ。

ほんの一分ほど前です。

コンビニって駐車場があるわけですよね。

そこに子どもが二人。

小学生の女の子でした。

たぶん二年生でしょうね。

一年生ではないと思うんですよ。

ランドセルカバーもやってなかったし、小柄だったので、たぶん二年生でしょうね。

その女の子二人が夢中でですよ。

コンビニの駐車場の何にもないところにしゃがみ込んで、手で何かを集めてるんですよ。

もうすごい夢中でね。

周りの状況とか何にも気にせずに、夢中でやってるんです。

何かね。

まるでカブトムシが木に樹液を見つけて、そこに集まって夢中で樹液を吸うかのごとく、夢中で手で砂をかき集めて山を作ってるんです。

「砂場でやれ」って話ですけど。

そんなに砂ないじゃんって。

何をそんなに集めてるんだって話なんですけど。

時々見かけないですかね。

小学生が、なぜそこでしゃがみ込んで集まって、何かを夢中で見てるのか。

何かを夢中でやってるのかっていう風景。

結構見ますよね。

でも、あれってなんちゃないんですよね。

単にそこに落ちてた石ころが面白かったから、他にも石がないか探してるとか。

たまたま目に入ったことをやってたら、友達も一緒に夢中になったとかですね。

わかりやすいので言えば、そこに虫が死んでいたから、そこでずっと見てるとか。

そういうのもあるんですけど。

さっき見たものはね。

特に虫が死んでる様子でもなく、夢中で砂をかき集めてたんですよ。

二人で。

ああ、もしかして今思うと、何か虫が死んでたから、砂をかき集めてお墓を作ってあげてたのかもしれないですね。

だから僕、こういう子どもが、

「なんでそこで夢中になってんの?」

っていう風景を見るのが好きなんですよ。

夢中になってる姿って面白いじゃないですか。

なんなんですかね、あれ。

道端に虫なんていっぱい死んでるわけじゃないですか。

たまたま目に入ったんでしょうね。

たまたま目に入って、たまたまそのお友達といて、たまたま波長が合ったから、

「お墓を作ろう」

みたいに自然とそういうふうになったんでしょうけどね。

子どもにとっては、大人から見れば別にどうでもいいじゃないですか。

お墓を作るっていうのは優しいなと思いますけど、きりがないでしょう。

虫なんてそこら中にめちゃめちゃ死んでます。

たまたま見かけた虫がコロンとひっくり返ってたから、砂をかき集めてお墓を作ってあげる。

でも、その虫だけ特別扱いするわけにもいかないじゃないですか。

そんなことやってたら、帰り道ずっと地面を見ながら、死んじゃってる虫を探して、お墓を作ってあげないといけなくなるじゃないですか。

でも、そうはならないですよね。

その子どもたちにとっては、そこにたまたま見かけた虫だけなんですよ。

やるのは。

夢中になるというか。

その子ども二人にとっては、すごい大切な時間なんでしょうね。

たぶん一人で帰ってたら、別に何にもなかったと思うんです。

見かけたとしても。

でも、そのお友達と一緒にいるからこそ、その場所でやることに意味があるというか。

まあ、意義ってほどじゃないな。

その子どもたち二人にとっては、なくてはならない時間になるんでしょうね。

なんで僕がその子どもが夢中になってる姿を見るのが好きなのかというと、やっぱり童心に帰るんでしょうね。

自分が何かに夢中になっていた子どもの頃とか。

本当にダンゴムシが丸まってるだけを延々と眺めていたりとか。

畑に水が流れ込んでるのを延々と見たりとか。

蛇の抜け殻が落ちていただけで、それをずっと眺めていたりとか。

端から見たらしょうもないことに夢中になって見てるんですよね。

別に自分は何をしてるわけでもないんですよ。

ただただ興味津々。

好奇心なんです。

何か変化があるわけでもないのに、ずっとそこにいて夢中になるんですよね。

そこに友達がいるものなら、二人で一緒に何か会話をするわけでもないのに、一緒にずっと見てるんですよ。

もしくは一緒に何か黙々としてるんですよ。

そこに会話ってないんですよね。

そういう会話がなくても、友達と一緒に、言葉がなくても、同じ時間、その夢中を共有できる。

その時間を過ごすっていうのは、なんかね、すごい大事なんじゃないかなって思うんですよね。

童心に帰って。

大人になっても、そういう誰かから見ればしょうもないような時間に夢中になれるっていうのは、自分を整えていくっていう。

まあ、「自分を整える」って言ったら、なんか高尚な感じがしますけども。

なんかね。

それを見ると、

「そういうのって大事だよね」

って思っちゃうんですよね。

今日はね。

本当は他に話す内容があったんですけど。

でも、これを見た時に、

「今これをちょっと言葉にしてみたいな」

って思ったので、全くもって結論のないまま、どういうふうに着地するのかもわかんないまま収録して話しました。

今も結論というか着地は全然してないですが、

なんか意味もなく夢中になる時間。

そして、それを誰かと一緒に共有している時間っていうのは、すごい大事なんじゃないかなっていう。

だから、自分としてもすごい大事だって思っているからこそ、ついつい子どもたちが何かに夢中になっている姿を見て、

「いいな」

って思っちゃうのかなというところで着地しておこうかな。

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