バッチョ・トゥ・ザ・フューチャー
楽屋からにて「ばちょぺでぃあ」
うどん屋のテレビで見た、アイドルがソフトクリームを巻けるかチャレンジ。くそどーでもいいのに見てしまった!
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うどん屋のテレビで見た、アイドルがソフトクリームを巻けるかチャレンジ。くそどーでもいいのに見てしまった!

失敗したとて誰も覚えていないし興味ない。

ポッドキャストやニュースレターで何か有益なことを発信しようとは思うんですが、自分にはそんなにないよなと思ってしまう方なんですよね。

演劇を長年やっているので、声の出し方とか表現の仕方とか演劇論とかは、話そうと思えばいろいろあるんですよ。でも「それを発信して誰が欲しがるんじゃい」と思ってしまうので、わざわざニュースレターやポッドキャストで語ろうとは思えない。

じゃあ自分に何ができるのかと考えたときに、それはチャレンジを発信することなんじゃないかな、という話を今日はしたいと思います。


うどん屋さんのテレビで起きたこと

先日、個人でやっている昭和の雰囲気が残る古いうどん屋さんに行ったんですよ。常連さんが集まるような、お座敷にテレビが置いてあるタイプのお店で。

そのテレビでバラエティ番組が流れていて、あるアイドルがソフトクリームをうまく巻けるかどうかというチャレンジ企画をやっていたんですね。

……くそどうでもよくないですか、そんなの(笑)。

どこの馬の骨とも知らないアイドルがソフトクリームを巻けるかどうか、自分の知ったことか、という話ですよね。案の定、お客さんはほとんど誰もテレビを見ていない。新聞を読んでいたり、スマホを見ていたり。BGMとして垂れ流されているだけという感じで。

僕自身も全然興味がなかったし、むしろそのアイドルのことすら知らなかった。こんな企画テレビで流すなよとすら思っていたくらいで。

でも耳には入ってくるわけです。チャレンジが始まる前にCMが挟まって、「果たしてうまくいくのか、CMの後で!」みたいになった瞬間、くそどうでもいいと思いつつも——内心ちょっと気になっている自分がいることは、否定できなかったんですよね。


CM明け、全員がテレビを向いた

そしてCMが明けて、いよいよアイドルがチャレンジするってなった瞬間。

今まで誰一人テレビを見ていなかったお客さん全員が、テレビに釘付けになったんです。店員さんまで見ていた。そのアイドルがソフトクリームを巻いている間、その場にいた全員が画面を見ていて、僕もしっかり見ていました。

別に成功しようが失敗しようが、自分の人生に何の関係もないのに。

でも、誰かが何かにチャレンジしようとしている姿って、やっぱり気になるんですよ。ついつい見てしまう。理屈じゃなく、人間の本能的な何かが反応してしまうんでしょうね。

ちなみにそのアイドル、失敗しました。めちゃくちゃ悔しがって恥ずかしがっていたんですが、チャレンジが終わった瞬間、お客さんは全員また新聞やスマホに戻って、店員さんも通常業務に戻って、僕もうどんを食べるのに戻りました。

誰も失敗したことなんて気にしていない。覚えてもいない。


チャレンジするプロセスに価値がある

ここで気づいたことが2つあって。

1つは、誰かが何かにチャレンジしようとしているだけで、それだけで人の注目を集めるしコンテンツになるということ。

もう1つは、失敗しても誰も覚えていないということ。

失敗したらどうしようとか、恥ずかしいとか、そういうことを気にしてチャレンジをためらうことってあると思うんですが、結果なんて誰もたいして気にしていない。見ている人が興味を持つのは、うまくいくかどうかわからないチャレンジをしている姿そのものなんですよね。結果よりもプロセスの方に、ずっと価値がある。

Substackとか発信の場でも、自分には発信することが何もないと思っている方が多いと思うんです。何者でもないから、まだ成し遂げていないから、という理由で。でもそれは逆で、今まさに何かに挑戦している姿を見せることが、一番コンテンツになるんだなということを、うどん屋のテレビが教えてくれました。

だから僕自身も、今やっていることやこれからやろうとしていることを、ちゃんと発信していこうと思っています。


ちなみに、あのアイドルがソフトクリームを巻いている間、僕は無意識のうちに肉うどんの肉を全部食べてしまっていたらしくて。気づいたら肉がなかった。

それだけが心残りです。

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